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autobiography.
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1960年代とは一体どれほど重要で多感な様相を持っていたのだろうか。諸芸術において、また諸芸術運動において、不可避な時代だったと思う。伝統の権威に挑戦したジョン・ケージはその時代を通過した。彼はFluxusのメンバーであり、過去の偉人の形式による栄光と覇を競ったのである。チャンスオペレーションによる作曲技法は権威によって異端扱いされ、抽象は具象に飲み込まれる。伝統は再生産をくりかえしながら排他的に、そして逆説的に安易なものとなっている。前衛と伝統の二元論はいつの時代も芸術家を多忙にさせずにはいられない。イデオロギーはその時代に優勢な所有の様式に対応する社会的交換の形式からなるとマルクスは提唱したが、変化あるいは革命にはしばしば危険を伴う。そしてジョン・ケージのコンサートでは、″ダダ″と叫ぶ。
拍子から独立した時間の中に音を生じさせるべきときがきている、とジョンは言った。記符された音はその中でしか生きられない。noiseは不揮発的に離散的に存在し、固有の地位が与えられている。自然発生するその差異は明確な非連続で、連続的な音の差異の要塞である形式の前では衝突が生じる。解き放たれているのはノイズであり無であり、沈黙なのである。知的な処理の為に音は古びてしまった。 早い時期に油絵を放棄したデュシャンはレディメイドを数多く発表した。その中でも『泉』はかなりの異端扱いされ、展示委員の議長まで任されたデュシャンは芸術の自由を支持する立場から、即座にその委員の職を辞職した。1917年の美術界はデュシャンのイデオロギーにノーと言った。しかし、1964年に8つのレプリカがデュシャンの許可のもと複製されたように、2世代を経て美術界はイエスと高らかに唱えた。デュシャンはダダイストだった。 皮肉なことに、ジョン・ケージも同じ道を辿った。ある委嘱願いからコンサートをおこなった。人々はジョン・ケージのピアノ伴奏を聴こうと足を運んだが、ジョン・ケージは鍵盤に手を触れることなくそのコンサートを終えた。後に『4分33秒』と題されたこのコンサートの聴衆は怒り、ブーイングを巻き起こした。そして″ダダ″と蔑んだ。現代、アメリカで『4分33秒』が放映されるにまで至った。そして人々はスタンディングオベレーションする。 ジョン・ケージは言った。なぜ口を閉じて耳を開けておかないのか。 1960年代にヒッピー運動が流布したことになにかシンクロニシティ(共時性)を感じずにはいられない。サイケデリックでロックの多様化の根幹がこの時代に芽生えたと思う。音は記憶をもち、連続はイメージをもち、脳内で視覚化される。ジョン・ケージによるチャンスオペレーション技法や不確定性の導入はインプロビゼーションにも多大な影響を及ぼしたと思う。またFluxusのメンバーであったラ・モンテ・ヤングに傾倒したヴェルヴェット・アンダーグラウンドもホワイトノイズを多様したりとかなり前衛的であり、当時は全く売れなかったが、今ではこのバンド抜きにしてロックを語れない。それはその後のルー・リードの活躍にもよるのだが。そしてそれを端に発したボアダムズのsoul discharge´99はサイケデリックで音を視覚化したひとつの極みのように思う。というよりもまだ音楽に対して盲目な僕にはいまのところこれしか見当たらない。 ジョン・ケージの著書のサイレンスは僕にとってかなり重要なバイブルである。彼の功績は僕の言葉で語るにはノイズが多すぎる。 PR
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